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『私は奈良で考える』 2004年  拾得物など サイズ可変

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 巨大なトランク型立体的平面作品を中央に配する。木辺や道ばたに落ちている雑多な物で構成されているが、それらは全て地元奈良で入手。小作品的なモノがびっしりと詰められ、その集合体が一個の大きな作品として成り立つ。他に前回と同様のデスク展示、壁面にはスクエアの平面作品や小立体作品等、三瀬のバラエティーに富んだ創作意欲が満載。

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 三瀬は、「日本画」と「奈良」、このどちらにも非常な執着と反発を見せる。そしてそれこそが彼の制作の最大のモチベーションを生み出すものとも言える。どちらにも共通して言えることは「古い」(=伝統的であり退屈であるもの)という一般的なイメージと、その中に身を置くものとしての堪え難いジレンマであろう。誤解の無い様に付け加えておくが、あくまで一般的な「イメージ」である。しかし「イメージ」はその世界を束縛し、勝手にあらぬ方向へ押し進めて行ってしまうものである。伝統と保守は退屈やマンネリとも紙一重でありながら、熟練の技と歴史の重み、そしてその上に降り掛かるほんのわずかな同時代性をもつスパイスによって現代に存在する意義を確認され、重宝されるのだとすれば、「日本画」にも「奈良」にもその要素は多分に含まれる。

 しかし三瀬はその中では満足できない。そしてそれを充分に知って、感じていながらなおその中に身を置き、自らが牽引者となってでも自分を取り巻く環境を動かしていこうとしている。彼は職業として高校の美術教師をしているが、昨年の個展の際に聞いた話では生徒と一緒に(手伝わせながら)作品を自分の個展用の作品を制作しているのだという(全てにおいてではないだろうが)。彼の熱意に満ちた言動や実際の制作、行動を見ても分る様に所謂「熱血先生」である。GTOならぬGTM(グレート・ティーチャー・三瀬)である。今の時代において自分のこと、目先のことで一杯一杯な人間がどれだけ多いか!もちろん将来の不安や争いの絶えない世界に目を向ければ、当然のことではあるが。しかし三瀬のように自らが先導し、若き者を鼓舞し、さらに作家として新しい何か・新しい次元を切り開こうとする志は並み大抵のものではない。それだけはしつこくも今年も書いておかねばならないだろう。

 今回の個展のタイトルは『私は奈良で考える』だそうだ。昨年は『私は絵を描きたい』だった。何と素晴らしくも単純なタイトルだろう!しかしそれぞれのタイトルには、実は三瀬にとって迫真の事情が存在する。近年のデジタル、映像、さらにはあらゆる仮想現実の浸透によって視覚の懐疑性は問題とするのも難しいほどに蔓延し、なお我々は視覚を頼りに生きる術ばかりを身に付けようとする。携帯電話のカメラすら「こんなもので?」と訝しく思いながら誰か有名人が通れば一斉にそれをかざし、プライバシーそっちのけで写す。「魂を抜く」と恐れられたレンズに対する畏怖も、ダイアナ妃を死に追いやったパパラッチも、もはや何処吹く風。そんな中、もはや視覚表現そのものに懐疑の目を向け、あるいは壊すものも多い。何をどう表現するかは完全に個人の自由と称され、一方で絶対的な価値観はゆっくりと静かに音をたてて崩壊しつつある。それをマイナスと見るかプラスと見るかは後の歴史学者が決めることかもしれないが、一つだけ言えることがある。それは、「確固たる意志を持って生きる」ことこそが今の時代において最大の困難であり、その上で「信念に基づく何かを生み出す」ことは多大な犠牲と労力を伴う。しかしそれが出来る人間とは、逆説的に言えば、そうしなければ生きていけない、そうせずには居られない人間なのだろう。

 今回の三瀬のコンセプトを読めば、彼の言いたいことは一目瞭然である。また、作品を見れば必ずやその熱いスピリットと迫力を存分に味わうことができるだろう。私のコメントはあまり意味を持たない。同じ年に生まれ、同じ時代を生きている人間として「そうだ」としか言い様のない感覚を、いつも感じてやまない。彼が奈良に住んでいる理由。それは、そこで彼が生まれ、そこが嫌いになって、でもそこが好きだから。彼が制作する理由。それは、彼はものを作ることによって雄弁になり、人を楽しませ、そして自己と他者との「すきま」を埋めることが出来るから。夥しいネットワークの網の目は実はスカスカのスポンジのような空虚なものである。そこに感情やエネルギーが存在しなければ、振動も生まれない。彼の作品はそんなスポンジを浸すべきアロマオイルのような、土着と文明の産物である。

ニュートロン代表 石橋圭吾

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 奈良が大嫌いで大好きだ。奈良に生まれ落ちたことは宿命だと思うが、新興住宅地で生まれ育った私のまわりには土地に根ざしたものはほとんど見あたらなかった。歴史的遺産の乱立する異様な風景。やっとそれに対峙できるような気がしている。

 そこにいるとそこの状況というものは見えないものだが、どうやら奈良という場所は雑音の少ない場所のようだ。欲しい画材がない、美術書も売っていない、一線のアートを体感できるスペースもない。そんな場所でなぜつくり続けるのか?ないものだからつくる、つくりたいからつくる、といった自明のことが、ここにいるといつも突きつけられてくる。

 今回の出品作のひとつに『奈良町考』という一連のシリーズがある。奈良の町を歩き回り、買ったり、拾ったり、もらったりしたものでつくりあげたものだ。絵画における支持体、顔料、接着剤、そこから疑い、新たにつくりあげていかなくてはと感じている。

絵描き 三瀬夏之介

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