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『日本画復活論』 exhibition view @名芳洞blanc

『日本画復活論』

 また美術手帖で日本画特集?そう、またまた日本画特集なのである!

日本画はいつも、いつまでも復活してくる。

 それが日本画を擁護、墨守、推進、利用しようとする勢力の、悪しき動きだとみなす向きもある。私自身、京都の芸大で日本画を学び、日本画材料店に出入りし、団体展に出品し、日本画商とお付き合いした経験の中で、確かにそこには日本独自の慣習があり、ユニバーサルなアートとはまったく関係のない、狭い島国における同調圧力を感じることが多い。

 しかし、ことはそれを滅亡させてしまえば済むという単純な話なのだろうか?

 

「日本画の定義」

 まずここで、この「日本画」という言葉を整理しておいた方がよい。千葉成夫氏による「日本画」の「定義」※1がすっきりとしていて好い。氏は以下のように述べている。第一は、日本の絵画の総称(Japanese Painting或いはPainting in Japan)。第二は、西欧美術導入以前の絵画の総称(Traditional Painting)。そして第三には、明治期以降、近代化に抗して伝統を守ろうとする発想から生まれた(しかし私に言わせると、それは新たな伝統を作ろうとした)、非常に近代的な絵画(Japanese Traditional-style Painting after Meiji-era)である、と。そして現在はこの三つの意が混在して使用されている。

 さらに敗戦以降「日本画」はその出自から、「日本画第二芸術論」「日本画滅亡論」などの言説にさらされ、その絵画としての強度、造形性、制度を問われ続けることとなる。

 

「日本画の滅亡」

 では日本画を滅亡させるにはどうしたらいいのか?

 第一、第二の意では、国宝や重要文化財を含む古美術、近代絵画、現代絵画など、この国の絵画すべてを焼き払えばよい。Painting in JapanのJapanが問題であれば、この国の名前を変えてしまおう。元号のように国名が変わっても楽しいかもしれない。明治画、大正画、昭和画、平成画など。

 第三の意ではどうか。この美術手帖発売日を以て、すべての芸大や美大は日本画専攻を撤廃、日本画商は流通も含めて廃業、日本画材料の生産も停止、日本画家は日本画を描くことをやめること。もちろん団体展は解散、カルチャー教室の勢力も無視できない。そうしたら高校で日本画を教えている私も職を失うことになるな。

 もしこの日本同時革命(日本画同時革命?)が実現すれば、三世代くらい後には皆きれいさっぱりと忘れてしまうのではないか。

 と、ここまでシュミレーションしてみてお分かりの通り、この日本において日本画を滅亡させるということは不可能に近い。もうそれは日本そのものを表現しているといっていいほどの皮肉さである。実は日本画滅亡論とは日本滅亡論のことであり、国家解体というユートピア幻想から、貧富や戦争問題を含むメタ国家論へ、表現においてはメタ絵画論へと続く考え方のことではなかったか。

 

「日本画という宿命」

 では、三瀬にとって日本画とは何かと問われれば、私の中には二つある。

一つ目は逃れようのない宿命のこと。

 突然だが、イタリアに居を移して半年が過ぎた。ここには多くの国から多くの民族が集まってきている。この秋に一時帰国して驚いたことは、日本には日本人しか住んでいないように見えることだった。その国にその国の人しか住んでいないように見えるということは、実はとても異常なことだということがこちらに来るとよく分かる。

 また言葉の問題もある。ラテン語圏内では皆簡単に2、3カ国語をマスターしてしまう。それに比べて私の声帯を震わせるこの日本語はどうだ。まったく汎用性がない。未だ日本の公用語を英語にしないということは、私には鎖国の延長に感じられる。さらに中高6年間学んだ、この国の英語が現地でほとんど通じないというお粗末ささえ、実はこの国の隠された鎖国政策の一環ではないか。あ、それは私の語学力の問題か…。

 ただ、どんなにネイティブになったとしても、思考や体験を同時に2カ国語以上で捉えられる人間はいない。これは私が30年という時を日本語で経験してきたということを示している。実際ここフィレンツェで、山の端に若草山を、アルノ川に鴨川を、教会の丸窓に日章旗を、果てはプリンに富士山を深く感じてしまう自分がいる。

 表現においては、小さな頃から水溶性の絵具を使い、大学、大学院と6年間もの間を日本画材料で絵をつくってきた私にとって、これより深く思考できる材料は持たない。私は英語やイタリア語では深いところまで行けないし、行く理由も見つからない。

 ただし、ここで非常に大事なことは、私にとっての日本画も日本語も、決して特殊なものではないし、伝統的なものでもないということだろう。

 唯々宿命としか言いようがない、ということなのである。

 私にとっての自然な状態が日本と重なるとは到底思えないし、ユニバーサルなアートサーキットと重なると思えるほど鈍感でもない。

 私が、私から逃れることができない以上、私は、私の仕事を深めるしかない。

 

「日本画というジャンル」

 もうひとつはジャンルの問題である。

 あるものを作品として存在を認めるためには、その評価軸が必要になるだろう。その評価軸がジャンルの自立に繋がることになる。

 日本という国を世界における1ジャンルに例えると解りやすいかもしれない。日本が崩壊しないためには、日本国民が共有できる評価軸が必要になる。評価軸にのっとっていれば存在を認められ、安全は保証されるだろう。もし評価軸から外れることになれば、国から暴力が発動される。その最たるものは死刑か。じゃあこの国としてのジャンルの越境と溶解とは何かと言えば、それは外国人労働者の流入であり、ニート、失業者の増大であるといえば言い過ぎだろうか。

 価値の多様化があまりに進んだこの時代は、ジャンルの、そして日本の危機だろう。

 しかし日本国民である前に絵描きである私には、自作への評価軸が内在している。それは例えばデッサン、構図、色彩計画の問題、素材と技法の関係、コンセプトとの整合性、展示空間との相性など様々なことである。だが、絵を描くことにおいて震えるような体験をした者ならみんな知っている秘密がある。そしてそれは往々にして、今までのちっぽけな経験、ちっぽけな自分を超える、評価軸なんて軽くぶっ飛んでしまうようなところに現れるということも知っているはずだ。

 これを知らぬ者、またはこれを引き込むための事前努力の大きさに挫折する者の拠り所としてもジャンルは機能するだろう。実は評価軸とは神と同じような存在であり、疑えばそこにはいないし、信じる者にとっては絶対的な存在である。しかし“本当に描く”ということは、そのまた先にあるのだということを、少ない経験の中だが、私は信じている。

 とにかく理想はすべてを知り、すべてを経験した上で、すべてを忘れて絵に向かうということだ。まだまだ道は長い。

 

「日本画というひとつの光」

 では日本画というジャンルは私にとって何か?

 画面に向かっているとき、それが日本画である、現代美術であるといった意識はもちろんない。できれば絵であるということさえ忘れて取り組めることが理想だ。そこで生まれたビジョンが事後的にあるジャンルに再編されていく。どの場所で発表するのか、しないのか。誰に語ってもらうのか、自分で語るのか。どの流通経路を使って売るのか、売らないのか。こういったことに対して作家は責任を持ってもいいし、持たなくてもいい。その判断も作家の表現のひとつとも言えるし、逆手にとって立ち回る作家もいる。作品だけが残っていくと開き直ってもいいだろう。

 

 だが、価値の多様化した今、自作が自身の思いだけを体現していると考えることほど危ないことはないだろう。ある集団の正当性が、ある集団への暴力に変わり、同じニュース映像を見て泣き叫ぶ人があれば、歓喜の声をあげる人もいる今日、一枚の絵における価値の多様性、或いは多くの価値を引き込めるだけの器の広さということは、とても大事になってくるだろう。多くの場所で発表し、多くの人に語ってもらうということは、自身の、そして世界の多様性を知ることに繋がる。私の尊敬する高階秀爾先生は、それを「世界観の拡張」と呼んだ。※2

 

 私が生み出したものが、「日本画滅亡論展」に並び、同時に美術手帖に掲載され、同時に「日本画の新世代展」に並ぶ、いや紙ゴミとしてゴミ箱行きの可能性も否定できない。  

 現代美術系ギャラリーから流れることもあれば、百貨店で落款、箱付きでも買えるかもしれない。いや時代は移ろい、やはり紙ゴミか。

 

 そんな事後的な多面性において、自作が日本画として捉えられる一面を、私は無視することができない。それはもし私が死ぬまで海外に住もうとも、日本での発表をやめようとも、もっと極端に言うと日本国籍を捨てようとも、一生まとわりついてくる問題の中の大きなひとつなのである。それを滅亡させてしまおう、見て見ぬ振りをしよう、もう君たちは世界で国の壁を越えて戦える世代なんだよ、という感覚は、私にとっては不自然としかいいようがない。

 

 最後にもう一度繰り返すが、私にとって日本画とは、伝統でも可能性でもない。このどうしようもなくだらしない体が経験してきた言葉のようなものであり、私という解りづらい存在を照らし出す、大きなひとつの光のようなものなのである。

 

 日本画はいつも、いつまでも復活してくる。

 

P.S. この文章はミラノ行きの機上で書き上げた。日本を出国し、イタリアへ入国するまでの宙ぶらりんな、この感覚が相応しいと考えたからだ。

三瀬夏之介(絵描き)

 

※ 1「日本画」の「定義」千葉成夫 『国際美術評論家連盟会報』第8号より抜粋。

 筆者は2007年9月に中京大学Cスクエアで開催された「日本画滅亡論」という展覧会におけるシンポジウムで千葉氏と同席させていただいた。

※ 2 ARKO2007三瀬夏之介の打ち上げ会場にて。

                                 美術手帖 2008年1月号より

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